出会い


 当然だが、かつて私にも少年時代があった。 誰にでも覚えはあると思うが、思春期の頃の少年はとにかく好奇心が強いものだ。 私もその例に漏れず好奇心の強い少年だった。
 15歳の頃の私は父に甘やかされ育てられたせいか年の割には少々子供っぽい所があった。 とにかく好奇心と冒険心が強く、じっと座って勉強も出来ない程だった。 しばしば授業をサボっては教師を困らせることも気にせずに、城内を駆け回っていた。
 あの扉を見つけたのは、そんなある日のことだった。

 薄汚れた鉄の小さな扉。 私はあまり背の高い方ではなかったが、その私よりせいぜい頭二つ分大きいくらいしかなかった。 大人が潜ろうと思えば少し身をかがめなければ通れないような、小さな扉だった。
 城の中にあるあらゆる扉より小さくて、比べものにならない程汚らしい一風変わった扉。 その見たことの無い変わった風体は私の好奇心をかきたてた。
 ――まるで…牢屋みたいだ…
 実を言うと私は牢屋になど行ったことは無かった。 しかし漠然とした狭く、汚く、武骨なイメージは持っていた。 そして、目の前の扉はそのイメージとピッタリ一致していた。
 汚く薄汚れ、華美な装飾など一切無い無骨な鉄扉。 鉄で出来た扉なら城内にいくつもあったが、そのどれとも全く似ては居ない。 華やかな城の装飾の中でこの扉だけが浮いて見えた。
 牢屋。人を束縛する、鉄の檻…。
 ――誰が居るんだろう
 この国ではその頃、罪人を入れる牢は城の敷地内にはないはずだった。 国王とその一族を守るため、城の敷地内に危険な罪人は入れない。 それは当然といえば当然のことだ。
 だから、敷地内の離れならまだしも城の中に牢があるというのは想像だにできないことだった。 その鉄の扉の存在…それは全く不思議としか言いようの無いものだった。

 私はその場を動けなくなった。
 先にも述べたが私は好奇心の旺盛な少年で、とにかく見たことの無い物には何にでも興味を示していた。 薄汚れ、脂ぎった色で輝くその扉は正に私にとって冒険の予感を感じさせた。 無骨でそれでいて神秘的なその魅力に、私の目は扉の表面から離れることができなかった。
 ――しかし。
 私は知っていた。 私の父がここに私を来させないように並々ならない努力をしていたことを。
 私は 父は私が城内を自由に歩き回るのを許可した時に、一つの条件を付けたのだ。
『決して、城の東棟には行かないこと。』
 この扉はまさに、東棟一階で見つけたものだったのである。

 私の生活している範囲には五つの建物があった。
 東西南北棟と、中央棟。その内東棟だけは、何故か父に行くことを禁じられていた。
 棟の全ての出入口には警備の兵が配置され、私を決して通そうとはしなかった。また、父の前で少しでも東棟のことを口にしようものなら、あっという間に別の話題に注意を逸らされてしまうことが度々あった。
 あそこには、何があるのだろう。何度も想像しては打ち消し、棟の前をウロウロと歩き回った。
 そんな東棟に入れるようになったのは扉を見つけるつい三日ほど前だったと思う。実は、東棟につながる通路には盲点があったのだ。
 ――通路の、屋根。  
 それも四階の通路だ。四階の通路が繋がっている場所の窓だけが、何故かいつも鍵が掛かっていなかったのである。
 それを発見したのは偶然、中央棟四階の窓から東棟を眺めたときだった。召使の一人が慌てて窓を閉め、尚且つ鍵をかけずにその場を去ったのだ。
 はっとした。迷った。危険は承知だったし、父の私への努力を思うとやってはならないだろうとも思った。
 しかし――私の好奇心は止まるところを知らなかったのだ。

 こうして私は念願の東棟に足を踏み入れることができた。そして、その扉を発見した。
 一目ですぐに判ってしまったのだ。これこそが、父の隠したかった物なのだと。
 扉に鍵穴はなかった。把手を掴んで引けば、簡単に開くであろうことが分かった。
 開けたい。しかし、これ以上規則を破るのは・・・

 そのときだった。

『ぉぉおおあぁぁぉおうぅぅ』

 低い低い、獣のようなうなり声が響いた。
 扉の奥からだった。
 体がすくむ声。その声からは深い深い悲しみと、哀愁――そして底知れぬ怒りが感じられた。
 この奥には、いったい誰が囚われているのだろう。
 好奇心が疼いた。しかしほんの少し、恐怖も感じていた。
 この先に居るのは罪人なのだ。もしかしたら人殺しかも知れない。危険かもしれない。
 だが、好奇心が、冒険心が、止まらないのだ。知りたい。見てみたい。突き止めたい・・・
 その時、廊下を歩くかん高い靴音が聞こえてきた。ハッとして見ると、一人の兵士がこちらへ歩いて来るところだった。
 ――マズイ!
 見つかってバレたら、もうここへは来れないだろう。それどころか罰として城内を自由に歩けなくなるかもしれない。
 それだけは御免被った。しかし隠れる場所は無く――
 否、一つだけあった。目の前に。
 私は一瞬躊躇ったが、扉をほんの少し開いて中に飛び込んだ。
 扉の方へ、靴音が近づいてきた。どきどきと激しく鳴る心臓を押さえて私はその音が通り過ぎるのを待った。
 しかし。その靴音は扉の前でピタリと止まってしまったのだ。
 兵士が扉の前を離れる様子はない。どうやらただ何となく立ち止まった訳ではなく、この扉の警備をしているらしかった。先程は偶然持ち場を離れていたに過ぎなかったらしい。
 ――どうしよう・・・出られない!
 私は焦った。しかし、それと同時に少しだけ好奇心がぶり返すのを感じた。
 これはもしかしたら、新しい冒険へのチャンスかもしれない。
 振り返ると、扉の先に下へと続く階段があった。
 少し迷ったが、結局私はその階段を下った。
 なるべく音を立てないように。ゆっくりと。恐々と・・・。
 長い階段だった。一体どこに続いているのだろうかと言う不安と期待に、心臓が高く高く鳴っていた。
 今だからこそ思うのだ。私があそこで引き返すことなど微塵も思わなかったのは、ひょっとしたら何かの――もしかしたら、『彼』の、導きだったのではないかと。
 長く、暗く、どこかビリビリとした空気。それは私の感覚を麻痺させていた。私はただひたすらに階段を下り続け、やがてそこに――『彼』の下に辿り着いたのだった。
 石の階段の先には、土の床が広がっていた。
 割合広い空間。薄暗く蒸し暑く、ビリビリとした緊張が突き刺さる。私は初めて足を踏み入れたその空間に、ひどく緊張していた。
 階段の先には通路が伸び、その左右に扉のない小部屋があった。
 二歩歩いて左の部屋をそっと覗き込む。大きな机と数脚の椅子が暗闇の中にぼぅっと浮かんでいた。守衛所と言った趣があるのだが、そこは無人だった。
 更に右の部屋。こちらには仮眠用とおぼしきベッドが並んでいた。が。やはり人の姿は無い。
 私は訝しく思いながらも通路の先へ進んだ。
 そこには、格子のはまった鉄の扉があった。独房などの、あの扉だ。
 いよいよだ。
 私はごくりと喉を鳴らしてすり足で進んだ。その扉へ向かって。
 しかしそこに辿り着かないうちに、その低い声が聞こえたのだ。

「食事の時間には少し早いんじゃないのか?何の用だ?」

 私は文字通り飛び上がった。しかもそれだけでは飽き足らず、小さく悲鳴まであげてしまったのだ。
「!」
 男が驚いた様に息を呑むの聞こえた。
「誰だ…?」
 声に疑問の色が浮かんでいた。まさかこんな所に子供が来るなんて思いもよらないだろうから、それも無理はない。
 私は何か言わなければ、と口をパクパクと動かした。しかし声が出てこない。
 果たしてこの相手に自分の名を告げて良いものかどうか。私は迷うと同時に、扉の向こうに居る男に恐怖も感じていた。
 扉の向こうで、男が動く気配がした。ベッドが軋む様な音。どうやら立ち上がったらしい。
 しばしの時間が空いて、格子の間から一対の真っ赤な目が覗いた。その目は真っ直ぐに私の目を捕らえた。
 逸らすことの出来ない強く、澄んだ瞳。見据えられた瞬間私は身が竦んで全く動けなくなった。
「…一人でここに?」
 男は再び口を開いた。しかし、私に問うと言うよりは自問しているような響きだった。
 男の瞳が動いた。周りに誰も居ないことを確認しているらしい。
「お前は誰だ?何故ここに来た?」
 言った男の口調はぶっきらぼうで…まるで叱っているような感じだった。
 私はカチンときた。一体この男は誰に向かって口を聞いているつもりだ。私を誰だと思っている?
「口を謹むが良い!僕はこの城の主の息子、第一王位継承者パキラ・レムレト・ルーナ・ジェドだぞ!」
 叫び声がわぁんと響いた。しまった、と思ったがもう遅い。階段の上の方がにわかに騒がしくなるのが感じられた。
「パキラ王子…か」
 階段の方向を振り返った私の背後で、男がつぶやくのが聞こえた。
 視線を戻すと、格子の隙間から見える目が細くなって自分を見つめている。探るように。
 その視線には強い嫌悪が含まれているような気がした。それが何故なのか。その時はまだ解らなかったが…。
「あの男の息子と言うことか。生憎と、この俺にその肩書きは通用しない。」
 男の憎悪の視線は続いていた。しかし、私はそれも気にならない程男の言葉にまたカチンと来てしまっていた。
「僕はこの国の王子だ!父上に進言することも出来るんだぞ!」
「俺を殺すように、か?構わない。是非そうしてくれ…」
 強がっている様には聞こえなかった。本気でそう言っているらしい。ますますそれが気に入らなかった。
 更に男に対抗して何か言ってやろうと、私は目付きも鋭く男をにらみつけて口を開いた。
 しかし。
「ぱ…パキラ王子!?何故ここに…!?」
 ちょうどそのタイミングで後ろから声が掛かってしまった。
 私は不機嫌な怒り顔のままで振り返る。階段から降りてきた兵士が一瞬たじろいだ様に見えた。
「僕がどこに居ようとお前には関係ない!…僕がここに居ることに関して、何か文句でもあるって言うのか?」
 囚人に向けるハズだった怒りが兵士に向かって飛んだ。兵士はギクリと一瞬目を見開き、直ぐ様顔を伏せた。
 …彼は知っていたんだろう。一方的な怒りに対するこらえ方を。その頃の私は自分の怒りが不当であるなどほんの少しも思っては居なかった。
 黙ったまま兵士を睨み付けた。しかし彼は顔を伏せたまま「滅相もございません」とかなんとか、ひたすらブツブツと呟いていた。
 その頃私の国は、城内勤務の兵士であろうとも、気に入らないことがあれば命令一つで簡単に処刑することができた。兵士は、国王の息子である私にひたすら恐怖を感じていたのだ。
 私は何も物を言おうとしない兵士に更に怒りを感じていた。初めはただの八つ当りだったものが、いとも簡単に彼に対する嫌悪に成り代わっていた。
「なんとか言ったら――」
「さすがだな、パキラ王子?」
 募るイライラに任せて、叫ぼうとした時に。またしても私はタイミングを奪われてしまったのだ。
 腹を立てて振り返ると、またあの真っかな視線とぶつかってしまった。しかし今度は怯んだりしない。笑みの形に歪んだ冷ややかな赤に、私は勢い良く叫んだ。
「僕は父上の、国王の息子だ!お前とは立場が違うんだぞ!!」
「…まぁ、確かに違うな。お前たち親子は『殺人鬼』だが、俺はまだ少しはマシなつもりだ。」
 ここまできたら売り言葉に買い言葉。男の言葉で私の頭には真っ赤になる程血が登った。
「『殺人鬼』だって?そこまで言うなら望み通りに…」
「王子!いけません!!」
 その時になってやっと、後ろに控えていた兵士が私を制止した。囚人と私の間に割って入って私の目を見ていた。
 そこに浮かび上がる色。恐怖の汗が額ににじんでいた。
 私に対する――処刑への恐怖、だと思った。しかしどこか先程までの色とは違っている気がして。その時はそれが何なのかは全く分からなかった。
「ここにこれ以上居てはいけません!さぁ、行きましょう!」
「僕に命令を…」
「王子!!」
 私に命令をする兵士に腹が立った。しかし、今回は相手は全く引く気がなく、あまつさえ更に叫んでは王子である私の肩を掴むまでしてのけたのだ。
 私はその気迫に気押されてしまった。そして恐怖に彩られた瞳に、無意識で頷いていた。
「あぁ、ご理解頂き実にありがとうございます・・・さぁ、足元にお気を付けてお上りください。」
 安堵の声を出して私の背を押す兵士に従って、私は素直に階段を上っていった。
 王族に兵士が逆らうことがあるなんて・・私は少なからず驚きに支配されていたのだ。それに、あの恐怖の瞳・・・。

 階段を登り切った辺りで、下から低い声が響いた。


『もう二度とここへは来るな。パキラ王子。』


 命令されるのは我慢がならなかったが、その指示にだけは同意せざるを得ないと思った。



 そのあと父の所へ連れていかれて――てっきり私は雷が落ちるものかと思っていたのだが。
 予想に反して、父は安堵の顔を見せていた。母にいたっては、なぜか私を抱き締めて涙まで流す始末。
「は、母上!?一体…」
 珍しい事態にドギマギして父を見ると、父はどこか険しい顔で地を睨みつけていた。
「…父上?」
 私が声を掛けると、父は私の顔を見た。
「あの…教えてください。あの地下牢に居たのは…何者なのですか?」
「…」
 問いには中々返事が返って来なかった。表情が更に険しくなっていた。
「あ…その、無理にとは…」
「…いや。」
 ぎゅっと目をつぶってから、父は意を決した様だった。

「あの男は…ガジュマ・リウラと言う。
この城が抱えた――いや、この国が抱えた爆弾だ…。」

 父はゆっくりと、語り始めた。



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