バレンタインデー
3.噂の手作りチョコレート


 台所のコンロの上に掛けられた鍋から湯気がもうもうと立ち上り、ほんのりと美味しそうな香りが漂っている。 鍋の中身は暖かなビーフシチュー。 寒さの厳しい今の季節にはピッタリの料理だ。
「そろそろお父様たちが帰ってくる頃ね」
 ドナルカミ女王が深皿を運びながら声をかける。 鍋の様子を見ていたドルクが振り返った。
「お母様、昨日のあれは…」
「あれは食後に、ね?」
「は…はい、お母様」
 ドルクは照れたようにお玉を振り回した。 シチューの飛沫が台所の壁やコンロに転々と飛び散る。 それに気付いてドルクは慌てて布巾を探した。
 昨日一日を掛けて作った『あれ』。 自分で作ったものなのにも関わらず、ドルクは気になって気になって仕方がない。 仕事に出ている三人が帰ってくれば渡せるのだから、それまでの短い時間の我慢なのだが。
 ドギマギとしながらシチューの飛沫を拭き取っていると大きな音を立てて扉が開かれた。 部屋の中に冷たい空気と仕事帰りの三人がなだれ込んできた。
「ただいま!あぁ、今日は寒かったわァ!」
「母さん、いま帰ったぞ」
「ただいま帰りました」
 口々に言う彼らの頭や肩の上にはうっすらと雪が積もっている。 寒い寒いと思っていたらどうやら外では雪が降りだしていたようだ。
「ドルクさん、ただいま」
 シチューのついたお玉を持ったまま出迎えたドルクに雪まみれの聖樹が微笑んだ。ドルクはますますドギマギした。
「さぁさぁ、手洗いうがいを忘れないで下さいね。寒いでしょうから温かいシチューを用意しましたよ」
 頭の雪を払う三人に女王がにこやかに言った。


「ドルクさん、今ちょっと良いですか?」
 シチューを食べ終わり、ドナルカミ大王が風呂へ入りに行ったのを見計らって聖樹がドルクに声をかけた。 振り返ったドルクの瞳に聖樹が身体の後ろに何かを隠すのが映り、ドキリとした。
「どうしたの?聖樹」
「実は…」
 照れた表情の聖樹が後ろに回していた手をドルクの前に差し出した。 そこには綺麗な赤色の包装紙に包まれた小さな箱がひとつ。
「今日はバレンタインデーなので、これをドルクさんに」
 照れた様子ではあったがその聖樹の表情は心なしか誇らしげに見えた。 しかしそれとは対照的に、ドルクの表情は戸惑いの色に染まる。
「バレンタインデーの…?で…でもバレンタインデーは確か…」
「好きな人にチョコレートをプレゼントする行事なんだそうですよ。これが私からドルクさんへのプレゼントです」  にこやかな表情を崩さずに聖樹が言う。 やや戸惑いはしたがドルクはそれを受け取った。
「手作りチョコレートなんて初めてだったので大変でした。美味しくなかったらすみません」
「そんな、聖樹の作ったチョコならどんなものでも私は…」
 言い掛けてドルクはハッとした自分も用意していたものがあることを思い出したのだ。
「聖樹、私からも渡したいものがあるんだ。少しここで待っていて欲しい」
「え…?」
 聖樹は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに照れと喜びの混じった満面の笑みに変わった。
「はい!待ってます!」
 聖樹がそう答えた途端にドルクは玄関へと駆けていった。
 昨日女王と一緒に作ったチョコレート。 大きなハートの形のチョコレートに小さな色違いのハートチョコレートを散らしてある。 女王に見守られながら作ったので味には自信がある。
 それでも今の瞬間まで不安でたまらなかった。 聖樹は気に入ってくれないのではないか、自分の作ったチョコレートなど聖樹は気に入らないのではないか…と。
 しかし、そんな不安は不要なものだった。 あのときの言葉は今も、二人の間にあったのだ。
 昨日作ったチョコレートの上に、最後の仕上げにホワイトチョコレートでメッセージを書いた。 あまり上手くない文字だけれど精一杯の気持ちを込めた言葉。

『私の気持ちは今もあなたと共に』

 チョコレートの入った青色の包みを胸に抱えて、ドルクは聖樹のもとへと向かった。



top