バレンタインデー
2.チョコレート作戦


 派手なピンク地にチョコレート色の文字が踊る看板を見上げ、聖樹はゴクリと唾を飲み込んだ。 書かれているのは「バレンタインデーフェア」という文字と、赤色のハートの乱舞。 前を見れば特設されたスチールラックに所狭しと並べられた色とりどりの包装紙。 赤や黄色や青や水色…目が痛くなりそうだった。
「ええと…」
 聖樹は戸惑いながらも足を踏み出した。頭の中にドランの声が蘇る。
『バレンタインデー?あぁ、好きな人に心の込もったチョコレートを渡す日のことよ』
 聖樹の働くレストランの女性スタッフたちが厨房で甘い香りを漂わせていたのはそのためだったのだ、と昨夜ようやく理解した。 そして同時に焦りを感じることになった。
 世間的に有名なこの「バレンタインデー」というイベント、恐らくドルクも知っているだろう。 好きな人へチョコレートを贈る…もしも聖樹がチョコレートを送らなかったら、ドルクは「聖樹はドルクを好きでない」と勘違いをしてしまわないだろうか?
 勿論、そんなことはない。 聖樹はドルクのことを大切に思っている。 しかし行動が伴わないばかりに勘違いをされ、悲しませてしまうのではないか…昨夜から、聖樹の中にそんな不安が膨れ上がっていたのだった。
「…いっぱいありますねぇ」
 チョコレートの売り場を歩きながら聖樹は呟いた。
 大きなハートの形や可愛らしい熊の形、そして今年の流行りらしい「救世主型」などなど…個性的なチョコレートが右に左に並ぶ。 ドルクには何が良いだろうか?何を喜んでもらえるだろうか?頭を悩ませながら聖樹は歩いた。
 そしてやがて、とある場所へとたどり着く。
「…これは…!」
 そこに書かれていたのは、「手作りチョコレートコーナー」という文字だった。


 日も傾き、辺りが夕焼けに染まる時間。 表通りに面した小さなレストランは閉店の一時間前で閑散としていた。 店の中では店長やアルバイトの女の子たちが閉店準備に忙しい。 そこへ、一人の青年が勢いよく飛び込んできた。
「店長!調理場を貸していただけませんか?」
「せ…聖樹君?どうしたの!?」
 それは手に大きな紙袋を抱え、息も絶え絶えの状態の聖樹だった。 店長が慌てて水を差し出す。
「あ…あの、明日バレンタインデーなのでチョコレートを作りたいんです。少しだけ、調理場をお借りできないでしょうか?」
 水を受け取りながら聖樹が早口に言う。 つい一時間前に退勤したばかりの聖樹が戻ってくるから何事かと驚いたが…なるほど。
 店長は焦った表情の聖樹に、にんまりと笑ったみせた。
「実はね、他のアルバイトの子も何人か今奥でチョコレート作ってるんだよ。混ざっていったらどうかな?」
 言って店長は店の奥の調理場を指差した。 確かにそこには何人かのアルバイト仲間がチョコレートを刻んでいる姿が見えた。
「みんな考えることは同じだね。お互いアドバイスしあったほうが良いんだってさ」
「あ…ありがとうございます!」
 聖樹は喜び勇んで調理場へと駆け込んでいった。 その後ろ姿を見る店長の目は、やはり優しく微笑んでいる。
 バレンタインデーに男の身でチョコレートを用意するとは…余程献身的なのか、それとも聖樹の趣味が…?
「…まぁ、逆チョコって今流行ってるらしいし、ね…」
 店長は首を傾げたが、結局尋ねることは出来ずにチョコレートの製作を手伝った。



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