バレンタインデー
1.興味のあるお年頃


 その日は朝から家中に甘い香りが漂っていつもとは違う雰囲気がしていた。 今日は非番のドランといつも暇を持て余しているドードの二人は台所のある居間を追い出されて二人で顔を見合わせていた。
「分かってますよね?ドラン、ドード…」
 ドルクを台所に押し込んで扉を後ろ手に閉めてから、女王は二人に言った。
「明日は女の子にとって大切な日です。あなたたちは今日一日、台所を見てはいけませんよ?」
 いつも温厚な女王が久しぶりに見せた威圧感。 まるで昔のようなあの迫力は、今思い返してもドードの背筋に冷たいものを感じさせるものだった。
 …とは言っても、ドードは悪戯が楽しくてたまらない年頃。 そうでなくともお祭り好きの彼がこんな事態を前にじっとしていられる訳がない。
「なあドラン!窓からなら覗いてもばれないんじゃないかな?」
「…アンタってやっちゃダメなことをやるの、好きよね」
 やるなと言われればやりたくなる。 やっても良いと言われてしまうとやりたくない。 常日頃から天邪鬼なドードを知っているドランには、彼の行動を止めようとするのは全くの逆効果だと分かりきっていた。
「好きにすれば?アタシは別に興味ないから、アンタ一人で覗いてらっしゃい」
 机の上で指を広げて毒々しい色のマニキュアを爪に塗りたくるドラン。 ドードの興味の先には彼の興味は存在しないようだ。
「ええー!?つまんねぇ!おふくろとドルクが何作ってるか興味ないのかよ!?」
「何作ってるか…だなんて、そんな分かりきったこと興味も何も…」
 あまりに分かりきったことを口にするドードに対し、そう言いかけたところでドランはハッとした。 ドルクが『あの日』を知らないのは容易に想像が付くが…まさかドードも「明日が何の日か」を知らないのだろうか?
「ドード。アンタ、明日が何の日か言ってご覧なさい」
「ハァ!?あっ…明日…?」
 突然の問いにドードは困り顔になった。 今日は2月13日だから、明日は14日。 2月14日は一体何の日だっただろうか?まさか、父と母の結婚記念日だろうか? そう言えばドードは結婚記念日がいつなのかを知らないような気がする。 ドランなら知っているのだろうか?
「…えーと…」
 答えに詰まって曖昧な音を出すドードを見て、ドランは盛大に溜め息を吐いた。
「明日はね、2月14日。バレンタインデーよ」
「バレンタン…?」
「バレンタインデー。愛する人にチョコレートを渡して、気持ちを伝える日よ」
 言葉を聞いてもまだ首を傾げるドードに更に解説を付け加えた。 それでもまだ不思議そうな顔をしているが、これ以上の解説のしようがない。
「まさか、アンタまでバレンタインデーを知らないとは思わなかったわ…」
 更に溜め息が出る。
 そのドランの目の前で、ドードがぽんっとひとつかしわ手を打った。
「なるほどな!それでみんな『チョコレートの数で勝負だ!』なんて言ってたんだなぁ」
 そう言ってから「ん?」と首を傾げる。確か遊び友達で勝負をしていたのは男だけだった気がした。
「そうか…男と男の勝負って訳だな」
「ま…まぁ、そんなところね」
 ドードの瞳に炎が燃えた。 何かを決意したその表情に、兄のドランでさえ一瞬たじろいだ。
「よぉーし!ぜってー俺が一番になってやる!ドランにもワタルにも虎王にも負けねぇぞ!」
「そ…そう。頑張ってね」
「そうと決まれば早速準備しないとな!」
「…準備…??」
 バレンタインデーに男がする準備とは、何だろうか。 ドランが首を傾げている間に、ドードはコートとお小遣いの入った財布を引っ付かんだ。
「ちょっとドード!夕飯までには帰りなさいよ!?」
「分かってるよ!いってきまーす!」
 ドランの声に応えてドードは部屋を飛び出した。 慌ただしい足音が遠ざかっていくのを聞きながら、ドランはきれいに塗られた自分の爪に視線を落とす。
「…若いわねぇ」
 しかし、ドランの中には何かを間違えているような違和感が残っていた。 昨日聖樹にバレンタインデーのことを聞かれたときに残ったような、微妙に何かを伝えきれていないような…そんな違和感。
(ま、アタシには関係ないわね)
 考えることを放棄し、ドランは改めてもう一方の手にマニキュアを塗る作業に戻ったのだった。



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